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古池や蛙飛び込む水の音

額面通りに受け取ると、「古い池に蛙が飛び込んで水の音がした」。

だからどうした。
かの有名な松尾芭蕉のこの句に対してそんな風に思ったことがある情緒のない人間は私だけではないと信じたいですが、少なくとも賀東招二さんの『フルメタルパニック』の主人公・相良宗介(さがらそうすけ)君はお仲間でした。

同名のアニメが面白かったのでいつか原作を読んでみたいと思っていたのですが、最近短編をまとめた外伝が2冊ばかり安く手に入ったので移動の途中に地道に読み進めています。

相良君はまだ10代半ばの少年でありながらゲリラ活動を行っていたり、傭兵としてあちこちの戦場を渡り歩いていたりしたという特殊な経歴の人で、平和というものに全く慣れていないのですが、とある任務で日本の高校に通うことになってさあ大変という感じの話です。

一つ申し上げておきますが、決してギャグ一辺倒ではありません(笑)。

人型の巨大ロボットが出てきてドンパチというような、アクション系のお話です。

日常編は相良君のおかげでほとんどギャグですが。

「戦争ボケ男」などと言われてしまうくらい常に臨戦態勢で、戦場の理論をそのまま学校生活に適用する相良君は、自分の下駄箱を誰かが開けた形跡があるというだけで安全のために下駄箱を爆破したり、細菌兵器を教室に持ち込んでクラスメイトをパニックに陥れたりするような滅茶苦茶なことばかりするのですが、そこがとっても素敵です(笑)。

最新鋭の戦闘兵器を苦もなく扱えるくらい頭がいいので、数学や物理といった理系科目は得意だそうですが、その反面情緒を求められる古典のような科目が大の苦手のようですね。

タイトルの俳句をどう説明したものか1時間以上も悩んだ挙句、AI(人工知能)に「それはこれ以上にはないというくらいシンプルな言葉で人間の情感を見事に表現した句なんですよ」的なことを長々と説明されてしまう始末です(笑)。

大方どこぞのデータベースにアクセスして得た情報なのでしょうが、AIの方が情緒的とも取れる発言をしたりするので、相良君って最早ある意味人間失格な気がします(笑)。

最近はキャラクターが彫り尽くされた感があって、主人公に目新しさを感じることも少なくなってきましたが、相良君は久々に個性が光る主人公でした。

相良君を考えた賀東さんは凄いですねえ。

どうやらご自身がかなりのミリタリーマニアのようなので、その影響が大きいのでしょうが。

作中に登場する人型戦闘兵器の操縦法が事細かに書かれた短編の中で、「ロボットはスティック操作でどうやって物を掴むのかという命題はクリアされた」とかいうような一文に、凄まじい執念を感じました(笑)。

スティック操作で物を掴むことにどんな問題があるのかと言うと、常識的に考えて単純なスティック操作では複雑な関節の動きを制御し切れないということなんですね。

予め動きをインプットしておいて、後はスティックで単純な入力をするだけでだけで勝手に一連の動きをするのだったか、(ロボットが搭乗者の動きに連動するタイプなので)握るように手を動かしてボタンを押せば後は自動的に機械がやってくれるのだったか忘れましたが、とにかくそういう感じで賀東さんは問題を解決されていた気がしますが。

しかし人型戦闘兵器の問題はこれだけではありません。

多分最大の問題がコントロールシステムだと思います。

前述の通り、『フルメタルパニック』の人型戦闘兵器は基本的に搭乗者の動きがそのままロボットに投影されるのですが、『空想科学読本』の柳田理科雄さんが言うにはこの手の操縦システムだと、システムの特性上ロボットと操縦者が同じ動きをしないと正常に稼動しないと推測されるそうです。

これは私見なのですが、双方向からの動きをそのまま投影しないと、明らかに無理な姿勢での運動命令が発生し、関節に過負荷がかかって機体が損傷するのではないでしょうか。

『フルメタルパニック』の場合は人型戦闘兵器にAIが搭載されているので、ある程度機体を保護するように動きを修正してくれるのかも知れませんが、下手に自己保存機能があると場合によっては平気で命令に背いてくれそうな気がします。

融通が利く程高性能なAIなら話は別かも知れませんが、全部人間が統御しようとするとかなり大変と言うか、多分一人では乗れないでしょうね。

揺れも相当酷いでしょうし、ロボットが稼動できる状態にあっても、搭乗者が戦闘不能状態で動けないという何とも切ない事態になったりもしそうです(笑)。

理論的に正しい人型戦闘兵器というものがどんなものなのか文系の私には全くわかりませんが、あったら是非とも見てみたいものですね。








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