ミステリー論
最近ミステリー作家の米澤穂信さんに凝っています。
犯人やらトリックやらは大抵全くわからないですが、びっくりしたり発想の斬新さに唸ったりするのが好きなので、ミステリーというのは結構好きなジャンルなんですよね。
最近米澤さんの『愚者のエンドロール』を読んだのですが、なかなか面白かったです。
文化祭に向けて作成中のビデオ映画の脚本家が諸事情あって原稿を書けなくなってしまい、未完の脚本を元に途中まで撮られた映画を見て、犯人とトリックを推理して欲しい(でないと映画が完成しないので)という頼みを主人公が引き受けるというストーリーなのですが、切り口が面白いですよね、これ。
謎の1つはおぼろげに看破できましたから、意外性には若干乏しかったかも知れませんが、最後まで楽しんで読めました。
途中に出てくるミステリー論も興味深かったです。
ミステリーを読んでいるとたまに「ミステリーとは何ぞや」ということを論じる人が出てきたりするのですが、「読むのは好きだけど特にこれと言って拘りがない」というスタンスの私は各作家さんのミステリー論を興味深く拝見しています。
『愚者のエンドロール』にもビデオ映画の結末を話し合う中でいくつかミステリー論が出てきたのですが、「『13日の金曜日』がミステリー」論が私にはひどく新鮮でした。
「ミステリーはサスペンスタッチのもの全てを内包することもある。場合によってはホラーも含めて」ということで、確かに一理あるなあと妙に納得してみたり。
しかし、ここで問題になっているのはあくまで「犯人やトリックなど、ビデオ映画の結末をどうするか」ということな訳ですから、出てくるいくつかの謎を「犯人は悪霊だったので超自然の力で何とかしました」というのはあまりに暴論だと思いますが(笑)。
まあ、賞賛の言葉は得られなくても、笑いは取れそうですけどね。
悪霊に頼らず地道にトリックや犯人を考えている作家さん達は凄いなあと、しみじみ思う今日この頃なのでした。