良し悪しではなく、好みの問題
今日はお友達のさくらさんとお会いしてきました。
紆余曲折を経て宮沢賢治の話になったのですが、私にとってあの人はどうしても良さが理解できない作家の代表格です(笑)。
ファンの方ごめんなさい。
しかし小学生か中学生の時に『銀河鉄道の夜』等を読んで「意味がわからん」としか思えず、大学生の時に片山愁さんが漫画化した『銀河鉄道の夜』を読んでもやっぱりわからず(好きな絵で描かれていたせいか、初見より印象は良くなりましたが)、「これはもう本当に合わないんだな」と悟りました。
多分もう2度と読まないと思います。
さらば賢治!
長く読み継がれている作家さんですし、わかる人にはわかる魅力があるのだろうと思いますが、私はどうもああいう理屈抜きで雰囲気を楽しむ感じの話は苦手です。
ついでに言うなら特に目的も事件も変化もなく、だらだらした日常を描いただけの作品も苦手です。
思いっ切り平穏な日常が描かれている『けいおん!!』や『あずまんが大王』は楽しんで読めたので、漫画と言うか萌え要素があれば気にならないのだと思いますが、小説だとほぼ100%駄目ですね。
そういった作品は、大抵タイトルすら思い出せません。
必ずしも日常系ではないですが、私小説的で「暗い・重い・訳がわからない」と三拍子揃う傾向にある近代文学も当然苦手です。
野村美月さんの『文学少女』シリーズのコミカライズ作品を読んだ時に、坂口安吾の『桜の森の満開の下』が紹介されていまして(出てくるのが文学少女ですから、様々な本を紹介してくれる訳です)、あらすじを読んで少しも面白そうだと思わなかったのにタイトルが気に入ったという理由だけで読んだりしましたが、思った通り全く好みに合いませんでした(笑)。
実は近代文学には小学校高学年の時に見切りを付けていたりしたのですが、やっぱり好きになれそうにありません。
『りぼん』や『なかよし』をほぼ卒業したり、男の友情萌えに目覚めてみたりといろいろありましたが、どうやら基本的な好みは子供の頃からあまり変わっていないようですね。
好み以前に読解力が全く上がっていないのではという気もしますが(笑)。
他にもタイムリーな震災の話から、地デジの話から、映画や小説でムカつく女の行動についてなど、真面目な話から割とどうでもいい話までいろいろなお話ができて楽しかったです。
どうもありがとうございました(ぺこり)。
諸事情あってそろそろ引っ越しをしようかという話になっているので、次いつお会いできるかわかりませんが、またお会いできるのを楽しみにしています。