内臓を飛び散らせたのは無駄なのか
夏だからという訳ではないのですが、弟と怖いアニメの話をしました。
まず筆頭に上がったのは、やはり『ひぐらしのなく頃に』ですね。
放送時に一部のテレビ局で放送中止になってしまったことからして、いかに残酷描写が多いか知れようというものです。
私、絵なら血がどれだけ飛び散っても割と平気な人ですが、そして多少人間とは思えないような形相をされても結構平気な人でもありますが、あれはSE(効果音)がとにかく怖かったです。
何でも『エルフェンリート』というアニメで使われていた「骨が砕ける音と肉が引き千切れる音が合わさった効果音(Wikipediaさんより)」が使われていたそうで、あの音は何度聞いても慣れませんね。
生理的にどうしても受け付けられないというところを通り越して、本能が嫌っているかのようなおぞましい音です。
そのSEの元祖となった『エルフェンリート』もかなり怖かったですけどね。
あれは音だけでなく、絵も相当怖かったです。
主人公のお父さんの頭がいきなり膨張して、そのままロケット花火のようにポンと胴体から飛び上がるシーンは、軽くトラウマになりそうでした。
「残酷描写はとりあえず規制」という風潮の世の中ですが、個人的には角が生えた少女の悲しみや嘆きを表現する上で、あの惨たらしさは必要だったと思います。
無闇に規制をかけてしまうのも如何なものでしょうか。
まあ、弟に言わせると「『ひぐらしのなく頃に』のような作品はただショーとして残酷なシーンを入れている訳だから、そういうものを楽しんで見る人間の神経が真っ当かと訊かれれば、必ずしもそうとは言えない気がする」とのことですし、作品によりけりかなとは思いますが。
私も臓物を飛び散らせる死体とか書いたことがあるクチですが、神(とその世界で呼ばれている魔王)が人間に都合のいい存在ではないことを表すために書いたあのシーンが、只の残虐なショーではなかったかと問われれば「そうだったかも知れません」としか答えようがありません。
何しろ「あー、新鮮でたーのしー!」とか思いながら書いていましたし。
自分としてはあった方がいいと思ったからこそ書いたのですが、なくても話が問題なく成立する以上、不要だったのかも知れません。
児童文学ならともかく、小説に残酷描写に関する規制があるという話は聞いたことがありませんが、そんなことをつらつらと考えたりする今日この頃です。