『ハーモニー』
伊藤さんの作品は『虐殺器官』、『屍者の帝国』、『ハーモニー』の三作品がアニメ映画化されていて、個人的にその中で一番ピンと来なかったのがこの『ハーモニー』だったのですが、原作は面白かったですね。
大まかなあらすじを説明すると、「大災禍」と呼ばれる危機に直面した人類が社会の構成員である人々を貴重な人的リソースとして扱うようになり、社会のために互いの健康や幸福を推奨する一見理想的な社会に息苦しさを感じながら生きる主人公の物語なのですが、映画は原作のラストがごっそり削られていて、「え?ここで終わりなの?」とちょっと拍子抜けする終わり方だったので、かなりマイナスになってしまっている気がします。
一部説明を端折っているせいで、キャラクターの行動の理由がよくわからないところもありますしね。
この物語において、人類は「WatchMe」というデバイスを体内に埋め込むことによって、病気にならないように体調を適切に管理してもらえるのですが、そればかりでなくどういう暮らしをすればいいかをアドバイスするライフプランデザイナーまでいるという、基本的に生きる上でのほぼ全ての選択を外注するのが当たり前の世界観で、言いようのない不気味さを感じました。
ここまで来ると、最早人は自分の人生を生きているとは到底言えないと思うので。
SFにおいて荒廃したディストピアというのは割とよく出て来るパターンですが、表面上は平和で幸せそうなのに、その実ここまで歪んで無味乾燥とした世界観というのはなかなか斬新で良かったです。
ラストでは人類の悲願である恒久的世界平和が実現しますが、全く喜べない上に何とも言えない後味の悪さが残りました。
あのラストを見て『Fate/Zero』のとあるワンシーンを思い出したのって、私だけですかね?
そして同時に「恒久的世界平和は望ましいことではあるけど、絶対に実現することはないし、してはいけないんだろうな」と思わずにはいられませんでした。
在り得ないことを無理に実現しようとすると、そこにはどうしても歪みが出ますし、結局誰も幸せになれないものなのでしょう。
基本的に「うわー、この世界でやっていくのは無理だわー」と思いながら読んでいた私ですが、作品の登場人物に共感した数少ないシーンの一つが「WatchMeを体内に埋め込んでいるおかげで、物を整理整頓しなくてもどこに何があるか把握できるから、片付ける必要性を感じない」というところでした(笑)。
実は「小説家になろう」さんで公開中の神と魔王がW主人公の小説『その手に取るもの』(https://ncode.syosetu.com/n6718dq/)の「釣り合い」というエピソードで、魔王はどこに何の本があるか全部記憶しているから、本を分類せずに適当に本棚に並べている」という記述があったりするもので、WatchMeのおかげでズボラになっている人を見て「やっぱりどこにあるかちゃんと把握できるなら、わざわざ整理整頓しないよね!」と妙に納得しましたね。
昔は本を分類して本棚に並べるという発想自体がなかったそうで、確か最初にそれをやったのが微分積分で有名なライプニッツだったと記憶していますが(間違ってたらすみません)、彼はきっと几帳面な人だったのでしょう。
ある程度の几帳面さを発揮しないと、物がどこにあるのか把握できなくなってしまうのは不便ですが、それも人間が人間らしく生きるための不自由さだと思えば、ある程度快く許容できる気がします。
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