翻訳文学もどき
現在、米澤穂信さんの『折れた竜骨』を読んでいます。
まだ読み始めたばかりなのですが、第64回日本推理作家協会賞受賞作品ということで期待が高まりますね。
以前テレビで「ミステリー好きなら、この人を知らない人はいない」とまで言われていた作家さんだけあって、どれも面白く、いろいろ読んでいるのですが、今回はちょっと今まで読んだものとは毛色が違います。
今回の小説の舞台は12世紀のイギリスなので。
これまで読んだ作品は全部現代物でしたから、てっきり現代物しか書かない作家さんなのかなと思っていたのですが、新境地を見た感じです。
文体が今までと違って、翻訳文学染みた印象を受けますし。
作中で使われている長さの単位がメートルではなくヤードだったり、「晩課の鐘」に(およそ午後三時ごろ)といった注が付いていたりするところが大きいのだろうと思いますが、日本人が外国を舞台にした作品を書いた時にはあまりこの手の用語は出さない気がしますね。
日本人が読むことを想定しているからにはわざわざヤード・ポンド法を使う必要性は薄いですが、徹底して雰囲気作りをされているのが伝わってきます。
しかし、あくまでも翻訳文学もどきはもどき。
実際の翻訳文学はうまく翻訳し切れない部分を無意識に感じ取ってしまうのか、読んでいると神経に爪を立てられるような不快感を覚えることが多いのですが、あくまで書いているのは日本の方なので、そういう不快感に煩わされないところがいいですね。
しかも只のミステリーではなく、呪いやら魔術やらのファンタジー要素が絡んでくるようなので、どんな真相に辿り着くのか、とても楽しみです。
「ミステリー+魔法」と言うと、竜騎士07さんの『うみねこのなく頃に』みたいですが、あらすじを読む限り「魔法は存在するのか」ということは問題にならないようですし。
かくしてハードルが上がりまくっている訳ですが、この作品が見事に期待に応えてくれることを祈っています。