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恐怖の質が違う

夏ですね。

夏と言えば怪談等怖いものということで、先日Gyao!さんで無料配信されていた映画版『サイレントヒル』を観ました。

原作は言わずと知れたホラーゲームですが、あの手のゲームが怖くてできない私は勿論未プレイですよ(笑)。

モンスターが怖いと言うか、モンスターが自分が操作するキャラクターに向かって来るのがとにかく怖いので。

マリオのようなゲームでさえ、ぎゃーぎゃー言って碌にできない人に、人に恐怖を与える目的で作ったモンスターが迫ってくるゲームはとても無理です。

そんな私でも、小説だったらホラーでも大丈夫ですよ!

怖いと評判のホラー小説を読んでも、文字情報だけだと大抵思った程怖くないのですが、映像があるともう駄目です。

が、『サイレントヒル』はちゃんと最後まで観れました。

映画だったら、映像を見るだけで画面の中のことは自分には直接関係がないので、割と平気です。

それに、洋モノのホラー映画に出てくる皆さんは大抵肉弾戦で襲い掛かってくるので、怖いと言ってもそこまで怖くないんですよね。

大剣を持った三角頭の人やら動くマネキン風の皆さんに本当に追い掛けて来られたら、自殺した方がマシだと思うくらい怖いに違いないですが、相手に実体があって、物理攻撃しかして来ないならまだ対処の仕様がありますし。

そこ行くと、ジャパニーズホラーに登場する皆さんの怖さは、洋モノのホラー映画に出てくる皆さんを遥かに凌駕している気がします。

何しろ、大抵「呪い」と呼ばれる超能力のような、物理的には防ぎようのないもので殺しにかかってくるので、核兵器の一撃すら防ぐシェルターの中にいても安全ではありませんし。

明らかに後者の皆さんの方が脅威度が高いと言えるでしょう。

しかし、元は人間だったのに、強い恨みを残して死ぬと超能力が備わるというのも不思議な話ですよね。

死ねば人間という括りからは外れますし、肉体を失った状態で物を言うのは精神力だから、というような理屈なのかなあと思いますが、一番最初にこの設定を考えた人は凄いなあと思います。

時代を超えて延々使われ続けているのに、まだ廃れる気配もないですし。

一体何を考えてこんな怖いものを考え出したのか、恐らくは怖いと思う心が生み出したものなのでしょうが、自分で作った恐怖に怯えるなんて、人間という奴は滑稽ですね。




 

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