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『鬼滅の刃』、最終巻を読みました

ここ二ヶ月ばかり、『鬼滅の刃』のことばかり書いている気もしますが、今回もまた『鬼滅の刃』について書こうと思います(以下ネタバレがありますので、ご注意下さい)。

先日、待望の最終巻を読みました。

一言で言って、「とにかく泣けました」。

大きな犠牲を払いながら、とうとう全ての元凶たる鬼を倒したものの、今度は主人公の炭治郎が鬼になってしまい、生き残った仲間達は炭治郎を斬らなければならなくなってしまいます。

しかし炭治郎の優しさや真っ直ぐさを知っている友達は炭治郎を斬ることができず、ぼろぼろ泣きながら「斬れねえ」というシーンでまず泣きました。

鬼になるまいと必死で抗う炭治郎に、仲間の一人が残した「鬼を人間に戻す薬」を投与することで、炭治郎が無事に人間に戻ったシーンでもまた泣きました。

鬼との戦いを通して、炭治郎は人間の温かさ、強さだけでなく悲しさも知り、それでも尚人間であることを選んだところに、この作品のテーマが集約されているのでしょうね。

やがて時は流れて、炭治郎達の子孫や生まれ変わった仲間達が現代で幸せに暮らしているシーンでほのぼのした後、柱と呼ばれる手練れの皆さんが順々に綴る「ずっとあなたの側にいたかったけど、私は自分の命より、あなたの命の方が大事だった。どうか私達のことは気にせず、幸せな日々を送って下さい」というような別れの言葉が最高に泣けました。

炭治郎達が多くの犠牲を払って鬼を倒した後、日本はいくつも戦争を経験して、生き残った人達は「せっかく鬼との戦いは終わったのに、どうして人間同士で殺し合わないといけないんだろう」とやるせない気持ちになったと思いますが、長い時間がかかってもこの平和な時代を迎えることができて、本当に良かったと思います。

誰も悲しまずに済む世の中を作ることはできませんが、十代・二十代の若者達が悲壮な決意で武器を取らなくても済む(一部そういう職業の方もいらっしゃいますが、あくまで自由意志による選択ですし)今のこの国は、犠牲になった人々が望んだ世界そのものではなくても、ある程度は近いのでしょう。

「ああ、いい物語だったなあ」と、感慨に耽りながら吾峠先生のあとがきを読んでいたら、まさかのあとがきでも泣いてしまってびっくりしましたね。

今まであとがきで泣いたことはなかったのですが、「この作品は、皆さんと作った物語です。皆さんが手に取ってくれなければ存在しなかった物語です。炭治郎達と一緒に戦ってくれてありがとう」の言葉に、泣かずにはいられませんでした。

吾峠先生、こちらこそ素敵な作品をありがとうございました。

こんなインターネットの片隅に書いた言葉が先生に届くことはないでしょうが、心より御礼申し上げます。






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