子供の頃から、時々妙なものを見た
「それは恐らく、妖怪と呼ばれるものの類(by 『夏目友人帖』の貴志君)」――ではありませんし、最初に見たのは高校生の時ですから、あまり小さくもないですね。
貴志君のように怪奇現象を目撃した訳ではなく、小説を読んでいる時に妙なものが見えたことが3回ばかりあるという話です。
小説を読む場合には大抵そこに書かれている情景がアニメとなって頭の中に浮かぶのですが、その時は同時に何故か描写と全く関係ないものが重なって見えました。
最初は荻原規子さんの『空色勾玉』を読んでいた時で、緑がかった青い、つるつるとした玉が頭の中に見えました。
次が恩田陸さんの『蛇行する川のほとり』を読んでいた時で、きらめく水面が活字の間や頭の中に見えました。
最後が横山秀雄さんの『陰の季節』を読んでいた時で、小説の情景に重なってコンクリート打ちっ放しの、のっぺりした建物が頭の中に見えました。
恐らく『空色勾玉』は感動的なまでの文章の綺麗さをつるつるとした玉という風に感じ、『蛇行する川のほとり』は高校生ならではのきらきらした雰囲気がとても気に入って川の水面が見えたのだと思います。
とても気に入った作品だからこそ見えたと考えればまだわかるのですが、『陰の季節』は文章が硬めで私はあまり好きになれなかったんですよね。
ちょっと読み難いかなと。
『半落ち』くらい柔らかい文体の方が好きですし、ストーリー的にも『半落ち』の方が上だと個人的には思います。
しかし『半落ち』では何も見えず、何故か『陰の季節』で見えました。
これも文体の印象がそのまま映像化されたのだと思いますが、我ながらどういう基準で見ているのかさっぱりです。
どうもこういう人間は少数派なようですから、精神的に何か問題でもあるのかも知れませんが、この程度なら異常でも困りませんよね。
普段はローテンションでふと訳もなく死にたくなったりしていたのに、夜中に妹や弟を叩き起こしてハイテンションでハマッたものについて延々語りまくったりするという躁鬱的な言動はかなり傍迷惑だと思いますが、最近はめっきりやらなくなりましたし、家の外では一度もやってませんしね。
以前お友達のさくらさんに言われた言葉ですが、やはり「奇行を家の外でやるかやらないかでヤバさが決まる」ものだと思います。
家の中だけに留める分別がある内はまだ大丈夫!でしょう、多分。
今にして思えば高校生の頃は離人症の気もあったようで、幽霊のようなふわふわした気分で何となく毎日学校に行き、人間を書くのが嫌だと魔王のような非人間キャラばかり書いていたりしましたが、そんなんでも一応大人になれました。
書くことを通して人と向き合うことを身に付けたおかげで、随分安定した気がします。
それでもブチ切れると歯止めが利かなくなるのは変わってませんが(笑)。
ご近所に迷惑を掛けないように、これからも精神安定剤代わりに書いて行こうと思います。