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人として軸がぶれていると言うといかにも駄目人間のようだが、その方が魅力的だったりする

空知英秋さんの『銀魂』を彷彿とさせるような長ったらしいタイトルですが、「人として軸がぶれている」というのはTVアニメ『さよなら絶望先生』のオープニングテーマのタイトルです。

私は『さよなら絶望先生』は原作もアニメも見たことないですが、弟はどちらも見ていて「オープニングテーマのタイトルはこういう面白いタイトルなんだ」と教えてくれました。

今弟の中で『さよなら絶望先生』がとても熱いようで、最近何かにつけて「絶望した!」と叫んでいます(笑)。

さて、『さよなら絶望先生』についてはこの辺で横に置いておくとして、何故このタイトルにしたのかと言うと、数日前に高校時代からのお友達である柊さんとお話していてそう思ったからです。
彼女は最近香月日輪さんの『妖怪アパートの幽雅な日常』を読んでくれまして、『妖怪アパート』について結構語ってました。

所謂萌え語りとは程遠く、作品の感想や批評めいたことばかり話していたのですが、その中で当然主人公の夕士君の話も出たんですね。

で、

夕士君は高校生の割に悟り過ぎだ!

彼が主人公らしかったのは1巻だけじゃないか!

ということで、見解が一致しました(笑)。

夕士君は中学生の時にご両親を亡くして伯父さん夫婦の所に厄介になっていたといった具合に、なかなか苦労している子なので、同年代の子より大人にならざるを得なかったとは思うのですが、それにしたって人間が出来すぎだと思います。

1巻では両親の死をちゃんと受け入れて決別したり、人間関係でトラブルが起こったりと、いろいろ悩んだり苦しんだりしていたのですが、2巻以降の彼はすっかり悟りを開いたようで、1巻と比べると精神的に非常に落ち着いています。

ブチ切れそうになったり、不安になったり、悩み苦しんだりすることがほとんどないんですよね。

周りの大人の言葉に反発したり、疑問に思ったりすることなく、彼らに言われたことをすんなりと納得してますし。

でも一つ何かを乗り越えたら、自動的に他の部分まで乗り越えられてしまうものだろうかというのが大いに疑問ではあります。

弟の言葉を借りるなら、「乗り越えるってのはそんな簡単なものじゃないし、乗り越えたと思ってもなかなか乗り越え切れていなかったりする部分があったりするだろう」ということですね。

大抵の人は人としての軸がぶれているものですが、夕士君はその軸がかなり安定していて、私の目にはあまり魅力的に映らないんです。

対象年齢はやや高めなものの、一応ジャンルは児童書ですから、やはりわかりやすいキャラクターの方が望ましいのでしょうが、20歳過ぎた人間からすると少し物足りないところはありますね。

だから余計になかなか二次創作ができないんです。

『妖怪アパート』で、私が一番主人公として書きやすそうだと思うのは夕士君なので。

軸が安定している超然キャラクターというのは好きなのですが、それが一高校生となれば話は別で、「もっとぶれてくれ!」と思いますね。

「じゃあ、お前はちゃんと軸のぶれた人間が書けるのか」と言われると、多分書けてはいないでしょう(笑)。

人間を書くって難しいです。

魔王みたいな人間ではない存在の方が、思考がシンプルで書きやすいですね。

ああ、魔王が恋しいです。

早く魔王を書くために、そろそろ執筆に戻りましょう。

では。






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